第13回 原田陽子流の「客観性」

原田陽子氏と話をしていると、「客観的に見る」という言葉がしばしば現れる。




「どんな洋服が自分に似合うのだろうか?」
「どんな振る舞いが今この時に、ベストだろうか?」




そうした事を考える時に、「客観的に見る」という事が重要である、と原田陽子氏は話す。
これは、日頃の生活に根深く関わる事のように思われる。


2e5eaaedfa26231321331946d4d3da4c_s.jpg


「客観性」という言葉やその意味を日頃考える事は少ないかもしれない。
今回はこの「客観性」について書きたいと思う。






「客観性」という言葉のイメージは、「自分自身」が対象であり、「自分自身を第三者目線で考える」ことのように思われる。
向き合うのは「自分」であり、「その態度や考え」という印象があると思う。
そうなると、客観性を持っている、持っていないという状況は、自分自身の素質であり、自分以外の外の世界は関係していない事のように感じるかもしれない。





しかし、「客観性」とは、





「相手が見る私とは、どのように感じられるのだろうか?」
と、相手が深く関わる事になってくる。
相手が存在するから客観性が有り、自分自身だけでは成り立たない。
ここをまず理解する事が大切である。





前回のコラムで書いたが、原田陽子氏は人をよく見ている。




人をよく見ると、





「こっちの方が、洋服が似合っているよね」
「こう言ったら、相手にわかりやすく伝わるよね」




という気づきがあると思う。
つまり、相手を良く見る事で、様々な事を知る事ができる、という事だ。




その「気づき」の積み重ねが客観性に通じると思う。
良い事例を見れば、自分も真似をしてみよう、と思うし、
逆に、良くない事例を見る事で、自分はやらない方がいい、という学習ができる。





それでは、単に人をよく見ている、という話であれば、自分の中に「事例」が積み重なるだけではないだろうか。
「事例」や「方法」だけが積み重なり、「実」を感じない考えや行動になるのではないか?




「愛」




原田陽子氏には、常に相手に対する「愛」がある。
相手の事を考え、行動する。





「愛」があるからこそ、それが「実」を持ち、その人にとって心に響くものとなる。
相手を見た時に、相手にとってどうであるか?を考える。
相手を感じて、感じた事を言葉として発し、相手と対話をする。
この積み重ねは単なる「事例」の積み重ねではない。
「心」が入ると、それは「人と人の関係」を深め、人間関係の積み重ねになる。
プロトコールの根底にある「お相手に対する思いやり」もここから発生しているものだろう。





客観性を身につける為に「人を見る」という行動は確かに重要な事である。





原田陽子氏の言う「客観性」はそれ以上に踏み込んだものであると思う。





相手にしっかりと踏み込み、相手の心と対話をする。
対話をして、その相手の「源泉」に踏み込む事。
「源泉」を知る事で、その事例の本質を知る事が出来、重さを持った「客観性」を持つ。





重さを持った深い客観性。





それが原田陽子氏の言う「客観性」ではないだろうか。





プロデューサー竹下和宏が語る、原田陽子の流儀 - この記事について

私が「原田陽子」という人物に初めてお会いしたのは、40歳の時。
ある会社でディレクターをしている時だった。

その頃、自分の人生の中で大きな問題があり、それを引きずりながら仕事をしていた。 

気分が晴れないまま、そして、40歳という年齢を迎えても、なりたい自分に、自分が変われないまま過ぎ去って行く日々。

インターネット関連の相談から始まったお付き合いだったが、その「在り方」を知る度に、私は「引き込まれる」、まさにその表現が当てはまった。

「まだまだ、自分は変われてない」、そう感じてはいるが、確実に私自身の人生に大きな影響を与えているのは確かだ。
お会いしてお話をした際に毎回「気づき」があり、それが私に影響を与えている。

「気づき」は一見「メソッド(方法)」のように感じるが、その神髄は「在り方」にあると感じている。

ここに、その「気づき」を記してゆき、「原田陽子」という「在り方」の「本質」を明らかにしてゆければと思う。

フリープロデューサー / ディレクター
竹下和宏
Facebook Page