第12回 挨拶が生み出すものINFORMATION
近年、3月、4月は日本に於いて災害が続いて起こった。
東日本大震災、そして昨年の熊本地震。
福岡においては、2005年3月の西方沖地震。
こうした災害が起きると、人と人の繋がりの重要性が改めて見直される。
「被災地救援に何か出来る事は無いだろうか?」
という気持ちから、支援物資を送ったり、義援金に寄付をしたりと様々な活動支援が行われてきた。
東日本大震災においては、SNS上でよく「絆」という文字を良く見かけた。
被災地を思う気持ちが繋がり、大きな力となった。
僕はこうした状況を見ると、何か日頃から出来る事があるのではないか、と考えることがある。
それは、近しい人、近隣の方と声を掛け合う行動だ。
災害が起こった時、被災地では助け合いが必要になる。
そうした時に、コミュニケーションを取っていれば、より強い助け合いの精神が生まれるだろう。
このような場合、具体的にどうコミュニケーションを取ればいいかと考える時、原田陽子氏の言葉を思い出す。
それは
「挨拶無しでは、それは生まれない」
という言葉。
僕はこの言葉を聞いた時、原田陽子氏の言葉の中の「それ」は、多くの事を差すのではないか?と気づいた。
日頃の挨拶の話題でその言葉をお聞きしたのだが、原田陽子氏は、
「挨拶をすると、心地よくなりますよね。」
と話した。
そうである。
挨拶は相手のためだけではない。
自分に心地よさをもたらしてくれる。
相手の心地よさ。
自分の心地よさ。
そして、コミュニケーションがそこで生まれる。
難しい事を考えなくても、挨拶1つでコミュニケーションが出来る。
これは素晴らしい事であり、たとえ大きな不幸にあっても、力強く立ち直れる「種」だと僕は思った。
「挨拶は何のためにするのだろうか?」
大人になると、挨拶は普通の事のように言うが、実はないがしろにしてないだろうか。
私の体験ではあるが、大人が挨拶をしない、という場面を思ったより多く見かける。
挨拶を何か恥ずかしく感じ、なかなか出来ないという人もいるかもしれない。
しかし、挨拶をしないならば、そこに何も生まれないのだ。
相手と自分に心地よさが2つ生まれ、そしてコミュニケーションが生まれる挨拶。
今一度、その意味を考えて、心地よさを実感してみたい。
かつて震災が起こったこの時期に、私はそんな事を思った。
原田陽子流「丁寧な暮らし」について
原田陽子氏のお話をお聞きする中で、様々な「気づき」があります。それは生活の中における、ちょっとした悩み事や考え方を変える、ヒントになると感じました。
この「原田陽子流 丁寧な暮らし」というコラムを通じて、そうした生活に役立つ考え方、捉え方を記して行く事で、お読みになった様々な方のヒントになれば、と思っております。
書き手:フリープロデューサー / ディレクター
竹下和宏