第14回 愉しみを伴う行動

原田陽子氏のサロン兼ご自宅にうかがうと、いつも「ちょっとした」ものがある。
例えば、テーブルにお花が飾ってあったり、壁に絵が飾ってあったり。
クリスマスやハロウィンになると、それをモチーフにした何かが、どこかにある。
そして何よりも、それがきちんと、やりっ放しな感じではなく、意図的に置かれている。
具体的に言うと、やりっ放しになっているホコリ感や、雑然とした感じがしないのだ。
きちんと意識して季節感やイベント感を出しているのが伝わってくる。


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その事を原田陽子氏にお話したところ、こうした言葉を頂いた。


「そうすると自分がまず愉しい気持ちになりますよね。そして、それに気づいて、それを感じた家族も愉しい気持ちになります。そうした事の繰り返しがあるから、生活が愉しくなるんですよ。」


まずは自分が愉しんでいる。
そして、同じ様に愉しんでくれる家族がいる。
とても幸せな気持ちが伝わってきた。


この話を聞いた時、生活を豊かにするプロセスを感じた。


それは「行動する」事、そして「相手が気がつく」事と「お互いに言葉や感情を伝える」事という3つ。
先ほどの原田陽子氏の言葉で言うと、自分がまずは「愉しみ」、それを「気がつく」家族がいて、それを「愉しい」と表現する事を共有している、という事だ。


良く聞く話なのだが、料理を出した時に「おいしい」などの声や感情がなかなか発せられないという悩みを聞く。
家庭において、妻が料理を作っても、夫が何も言わないという話だ。妻と夫がその逆の立場の話も良く聞く。
そして最終的に「何を作っても、張り合いがないので、料理が愉しくない」という言葉が出る。
まあ、そうなる気持ちも分からないでもない。


この状況は、その人を取り巻く環境も左右する話ではあるが、改善するのは料理の中身ではないと思う。
自分が「愉しく」料理をして、その料理の「愉しみ」を相手が理解して、それを「美味しい、愉しい」と言葉か態度で表現するか、そういうプロセスが出来ているかが問題なんだと思う。


このプロセスは出発点の「愉しく行動する」、それが「幸せの種」であり、必要な条件だろう。
それが無ければ、生活を豊かにするプロセスは生まれない。

その料理、「自分が愉しんで」作っているだろうか?


例えば、今日は食材の大きさを揃えることに徹底するという目的をもつ、あるいは、盛り付けをこの前、外食した際に感心したお店の真似をしてみる、そのようなことを試みるのも料理を楽しむポイントだと原田 陽子氏は語っていた。


この「自分が愉しむ」という話で思い出す事がある。


私がフェイスブックで明太子のパスタを作って、その画像を投稿した時、原田陽子氏から
「大葉などで彩りを添えるともっといいですね。」
とコメントを頂いた。
私の料理には、大葉の彩りが確かに無かった。


そして今。
原田陽子氏の気持ちの深淵を感じる。


愉しみ方の深さが違う気がするのだ。
大葉がない、という「現象」の話ではない。
ただ、目的の料理を作る事ではなく、大葉を事前に買っておき、それを使うという「気持ちの余裕」から生まれる「愉しみ」。


自分をもっと愉しませよう、そう感じるコメントだった。

 


 





原田陽子流「丁寧な暮らし」について

原田陽子氏のお話をお聞きする中で、様々な「気づき」があります。それは生活の中における、ちょっとした悩み事や考え方を変える、ヒントになると感じました。


この「原田陽子流 丁寧な暮らし」というコラムを通じて、そうした生活に役立つ考え方、捉え方を記して行く事で、お読みになった様々な方のヒントになれば、と思っております。



書き手:フリープロデューサー / ディレクター
竹下和宏