第15回 捉え方で時間は変わる。

「自分は一人の人間でしかない。
自分は自分という脳が考えた事、自分という心が感じた事が全て。」



良く言う話だが、自分の経験や想像を超える事を自分自身で考える事はできない。
自分の考えつかない、自分とは違った物や事を取り入れたり、受け入れるのは難しい。



でも、


「なんか変わりたい」


そう思っていている自分がいる。しかし、そうそうに自分を変える事は難しい。



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自分の考えにそぐわないものや、自分が楽しいと感じないものは自分の世界から追い出しがちだ。
しかし、原田陽子氏は違った見方をしているようだ。


原田陽子氏は変わり続けている。
新しいものを取り入れ、愉しんで生活をしている。




様々な話をする中で、最近、印象に残った言葉がある。


「私は2つの目を持っています。2つの目で見れるものには限度ががあります。そして、自分の好みだけで行うことも限られます。ですが、主人の2つの目、私には無い主人の選択肢が私に様々な体験をさせてくれます。そこがわかれば、色々なものを様々な角度で見れるようになりますよね。」




しかし、原田陽子氏にも好き嫌いはあるはずだ。
素直に聞いてみた。




「自分の趣味や考え方とちょっと違う、と思った時に、愉しくない、と思う事はありますよね?」


「自分が"これは自分の趣味じゃない"と発見する事が愉しいんですよ。」


なるほど、ここに原田陽子氏の「愉しむ姿勢」が現れていると感じた。



私もそうだが、自分が「愉しくなさそう」なものや、確実に自分の趣味とは違うものに関しては、自分から遠ざける。
私の経験から言おう。
例えば人から映画に誘われたとする。
それが、私の趣味ではないものだったとする。
僕は考えた末に、お誘いをお断りする。
そう、自分が愉しいと思わないものを、ただ遠ざけているのだ。


しかし、原田陽子氏は違う。
僕はとてもシンプルな考え方と感じた。


相手の趣味を受け入れるのは難しいし、遠ざける事もなんだか悲しい。
といっても、相手の考え方を変える事はできないだろう。
多くの人はその狭間で、その時その時に答えを出しながら生活している。
それが煩雑な事のように感じているかもしれない。


しかし、原田陽子氏は違いを感じる事を「愉しい」と感じて、「煩雑な時間」を「愉しい時間」に置き換えているのだ。
「愉しい時間」にする事で、自分自身のものにしているのだ。


初めの方に書いたが、自分の経験や想像を超える事を自分自身では考える事はできない。
裏返すと、自分に合わなさそうだな、と思っている事も経験しなければ、自分自身は広がらない、という事だ。


通常は自分自身の中で捨て去ってしまう機会や時間。
それすらも自分自身のものにしてしまう。


「愉しむ達人」である原田陽子氏の凄さを感じる時間だった。

 


 





原田陽子流「丁寧な暮らし」について

原田陽子氏のお話をお聞きする中で、様々な「気づき」があります。それは生活の中における、ちょっとした悩み事や考え方を変える、ヒントになると感じました。


この「原田陽子流 丁寧な暮らし」というコラムを通じて、そうした生活に役立つ考え方、捉え方を記して行く事で、お読みになった様々な方のヒントになれば、と思っております。



書き手:フリープロデューサー / ディレクター
竹下和宏